ハチナナハチハチ

サンジューがきみにやってくる。世代(87、88)きっかけウェブマガジン。あたりまえを、おもしろおかしく


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「日本人も知らない日本」というより「日本人のほうが知らない日本」があるな、と最近ずっと感じていた。そんな心持ちで次の記事で紹介された映像を観て、ストンと腹落ちした気がした。
 

「augment5」の日本紹介映像がかっこいいと話題に < Hibilog世界一周と日常と考察ブログ>


この記事では「augment5」という映像チームが制作した日本紹介映像が5つ取り上げられている。草津・支笏湖・京都・美濃・江ノ島の5カ所。まずは騙されたと思って映像を見ていただきたい。ハッと息を呑んでしまうような美しく、また日本の再発見を感じる映像であることに違いない。


"新鮮じゃないものが新鮮"
"一つ一つの光景が繊細でいて微笑ましい"
"東京だけが日本じゃない"


と見落としていた日本人の僕たちにボディブローを与えてくれる。さて本題は次からだ。キュレーションと映像の真価について。



キュレーションはまとめるだけでない

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手短な話、キュレーションはまとめることで新しい価値をつけることだ。ただ少しとっつきにくい言葉なのかなと感じる瞬間がある。色々なジャンルのキュレーションが存在するが、例えばテレビ番組『マツコ&有吉の怒り新党』の「新・3大〇〇調査会」であったり、串カツ屋で店主があらゆる材料から厳選した串カツセットなんかも一つのキュレーションだと僕は解釈している。


テレビ・ウェブ・看板広告・口コミ・書籍などの媒体が僕たちに情報を投げかけ、それらを糧に暮らしているわけだ。当たりまえ過ぎることを言うが、数十年前と比較したときに情報は爆発的に増加している。そのスピードは留まることを知らず、加速していくだろう。


現在は情報過多な社会であると言え、求めずとも情報が自分に飛び込んできてしまう。それはコップから液体が溢れるように、キャパを超えてもひっきりなしに注がれる様子に似ている。そんな状況下、僕たちは気づかぬ間に情報を取捨選択しながら過ごしている。


ただ本当に取捨選択できているかと「?」が心に浮かぶときもある。一度に受け取れる情報のキャパを超えてしまうと、何を受け取り・捨てるかの基準に迷ってしまうものだ。僕自身に膨大に情報量に迷いを感じることが多々ある。情報の媒体・形・カテゴリがそれぞれが違うから仕方もないことかもしれない。整理していくのに労力が必要となる。


そこでキュレーションの価値は上がっていく。家政婦が家の掃除・整理整頓をいつの間に済ませているかの様に、自分が欲しい情報を並べてくれる。情報の見方まで指し示してくれる。そんな気の利いたことはないだろう。ただ情報を羅列するだけでなく視点を加えること、これがキュレーターの役割だと思う。


切り口が斬新であり気付きを与え、まとまった情報を得ることができる
、そんなキュレーションは人の成長スピードを高めてくれるはずだ。ただ一方的に情報を受け取るだけでなく、自分で一度は情報を疑ってかかる必要はある。またキュレーターとして発信する側に回れると尚良いだろう。それは以前書いた「近距離恋愛」--僕がウェブにどっぷり漬かる理由を根拠としている。


 
言語を持たないコミュニケーション 

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映像にしかできないことは何だろう?映画観賞していると感じるが、誰が言葉で説明するでもなく作品のストーリーを映像だけで理解することができる。ナレーターや文章がなくても、作品の各ショットを通じて物語や登場人物の心情、彼らを取巻く関係性を察する能力を僕たちは備えており、それを最大限に引き出すのが映像ではないだろうか。


この敢えて言語化しない取り組みに映像の価値があるのだと思う。 言い換えれば、映像は言葉が通じなくてもある物事をグローバルに伝える力を隠し持っている。 「augment5」の映像にもう一度戻ってみよう。


彼らの映像は言葉を持たない。 心地良いリズムのBGMと柔らかいシーンの数々が、ご当地の魅力を引き出し、その地を訪れる人の心情を映し出している。知っているようで知らない驚きと純粋な映像美、観光客の物語に僕たちは不思議と「いいね」と感じてしまう。


映像は言葉を持たないからこそ煩わしさが無い、頭で考えるのでなく心で感じることができる、そして国境を越えることができる。今や情報量がただ増えただけでなく、情報発信の手段も増加している。ソーシャルメディアの普及で世界に開かれている。映像とソーシャルメディアの相性も悪くはない。伝えたいものがあるなら映像という手段はどうだろうか。
 


 
「日本」×「映像」×「キュレーション」

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そんな前述の想いを抱えて、以下のツイートをした。
 

日本の地方には日本人さえ知らない「モノ・コト・バショ」がまだまだ眠っている。どんなに素晴らしいモノでもコトでもバショでも、それらの見せ方を考え、外へ伝えるリテラシーが地方にはまだまだ浸透していない為だろう。その壁を越えれれば、日本人は勿論だが海外へも魅力を伝えることができ、地方も盛り上がるのではないか。


「グローカル」という言葉があるが「ローカルをグローバルに発信する」とここでは解釈としたい。地域活性を助ける考え方だろう。そこに映像が大きく貢献するのは「augment5」の映像で感じてもらえるだろう。日本の地方(ローカル)を新たな切り口でキュレーションし、映像化して、プロモーションを仕掛ける。


僕が京都にきたのは、グローカルな考え方に基づいている。自分自身にこびりついた
京都のステレオタイプを壊して再構成するべく、新しい切り口を京都で見つけたいから。住んではいるが観光の目を鋭く尖らして過ごしていきたい。観光地から離れた京都市外にも興味を抱いている。
 
 
まとまりがないが、「augmet5」は凄い!てのと、キュレーションも映像もこれからますます重要になってくる!この2つが声を大にして言いたいこと。それをタイトルを意識した結論としたい。。
 

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