着ない服を捨てられない...だから山のように無情にもわんさか服が溜まっていく...苦い経験があるのはぼくだけなのか...?


以前、京都駅近の「GU」(当時は「g・u」だった、新デザインいかがでしょう)に行って、服を買い足しただけの関西のみそ汁のように中身の薄い記事を書きました。あらためてノマドライフ=切り離す生活を意識したうえでの、服ってなんだろうな?と。

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げっと わいるど

本当にそれだけ服が必要か?
自分の個性を表現するものが服だとして、+αで機能性を活かす(身を温める、お洒落にみせる、肌を隠すetc.)のが服を着る意味としたとき、 自分にとって“必要な服の分量"を考えてみました。


毎日移動を繰り返していく生活を本格的にするとしたら、最低限の荷物、最低限の衣類で過ごさないといけない。問題はどのように日本の四季の変化を乗り越えるかだと思っています。その為に必要な服の分量として捉えていただけると。


ミニマムで服は何着持っていて、春夏秋冬、季節に合わせて着ないものはクローゼットに閉まっておいて、みたいなことを普通に"家で生活をする人"は考えないといけませんよね。ただ家を持たない人、言い換えると家を捨てた人は、そこからさらに制限されてしまします。単純に服を確保するスペースがなくなるので。


一般的にでも服を捨てたいを考えたとき、ある季節がくるまでの間、服をクローゼットで冬眠させておくのは無駄じゃないかなぁ、とまで今は感じます。ただ、かなり偏っている考えだと自覚してはいますよ...




服を自己表現と考えるなら話は別か
僕はファッションに力を入れています、ってキャラであれば「服を捨てる」スタンスは取りにくいんですけどね。自分を簡潔に表現するときに(印象としての服は別として)服に重きは置いていません。


で、なんだかんだ京都にきてから必要になったものは新しく買って、その分着なくなった服もあるわけです。本当に気に入っている服を多めに着たいとも思えてきて。もちろん清潔感は保ちながらですよ。漫画キャラっぽく、服のパターン少なめ...というかほぼ同じとかもおもしろいなぁ。

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服の新ルール「現地調達、現地廃棄」
だから取り留めないロジックだけど「服は捨てるものだ」と定義したいです。


今後のぼくの予定として、移動しながら国内を転々とする生活を試みます。余計荷物は持てないし、じゃ季節に合わせてどう順応していくの?と言われたら「現地調達、現地廃棄」と答えます。


もう必要なければ捨てて次に行く。どこに行っても気に入った服はあるだろうから、手持ちの服のことも考えずに欲しい服も手に入るでしょうし。



余剰をシェアしていく
「捨てる」のはもったいない。若干だけど日本のもったいない精神に反するから、自分にはもう不要だから必要な人に、と誰かにあげたたり、フリマで売ったりすればサイクルは循環するはずです。


物が一部に溢れ、一部では余剰となる世の中なので、うまく隙間を埋めれていけるようなシェアができたら時代にも沿えるだろうし、その為にインターネットも活用してみたいもんで。


本当は金銭の授受無しに、服だけに関わらずいろんなモノが循環して行けばいい。平和なサイクルを可能にするプラットフォームが、世界的にみても今後の僕たちの生活には必要となるんでしょう。

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さいごに
割とものを捨てれなくて、この時には使うんだよなぁと一時の為だけに捨てない理由になっている服は、年に何回、月に何回、どの場面で使っているか、着ている期間はどれくらいか等も考慮してバンバン捨てていけるように思い切ってみませんか?とぼくはひょっこり主張してみます。


服は捨てるもの、クローゼットに溜めて溜めて溜めて...冬眠させるくらいならいっそ手放す覚悟を。捨てることで得られる感覚も多いですし、長い目でみればその感覚に助けられる可能性も高いです。


てなわけで話を総合すると、GU/ユニクロなど、リーズナブルなカスタムウェアは助かるし、魅力的という話です笑。


ノマドライフは断捨離の実践でもあって、捨てるから気付くこともまだまだありそうです。捨てないと、ある意味追い込まないと気付かないのも人間の性質みたいですし。


Twitter/@0mija