ハチナナハチハチ

サンジューがきみにやってくる。世代(87、88)きっかけウェブマガジン。あたりまえを、おもしろおかしく

つれづれとただただ感じたことをここで吐き出していければなぁと思うから、構成がどうとか、言葉がどうとかってことすら気にしない。


ノマドライフ in 京都とは違うテイストになるだろうし、こっちのほうが気持ち楽だし、おそらく素に近いような感じだろうか。というかココでは「ノマド」についてはあまり触れないだろうなぁ。


ただノマドライフの延長線上で、向かってくる出来事があって、感じること考えることがあって、と考えるとこの生活ありきだったりもするんだろう。ってことでノマドをタイトルにつけて悪い気はしないかも。という、頭の中の葛藤というのも全て筒抜けでいいや、という気持ちで書いているわけです。




心BGM
毎日自分の頭の中に、いや心の中に浮かんできてはまとわりつくBGMってないだろうか。ぼくは毎日のように何かしらのメロディーが現れる。なんだろうと気になっちゃう。今日なんかは「わたしがオバさんになっても」が頭から離れなかった。


森高千里いい歌うたうよなぁ。わたしがオバさんになっても...なんて、ストレートな自虐に、愛らしい甘えがあるような歌詞だなぁと思ったし。アラサー女性にこの歌をカラオケで歌われたら、キュンキュンくるだろうなぁ、と思いながらずっと聞いていた。本日はこの曲に心をジャックされ続けた一日でした。



敷居を下げて、下げて、生む。
記事を書くとか、何かをやるときに何でも、ある程度「こうしたほうがいい」とか「こうするとおもしろいんじゃないか」って発想が出てくるのはいいけど、実際に自分の頭からでたその発想が自分を苦しめてしまうことってあると思う。


「こうしたほうがいい」「こうしたほうがおもしろいんじゃないか」がいつの間にか「こうしないといけない」 と脅迫とか強制とか縛りになってしまうのがぼくは一番怖いし、それが一番嫌いでもある。


自分でやりたいことを、やりたいという気持ちのまま進めていくためには、 ある程度の敷居を下げたほうがいいときもあるんじゃないかなぁ。


こだわりは大事。そりゃそうだし、妥協もしないに越したことはない。妥協しないために、悩んで悩んで苦しんだときに捻り出されるものの価値ってのもあるだろうとも思う。


ただそれの為に、何も生み出せない状態になるくらいんだったら、今の俺はこんなもんだ、今この時間でできる/ 生み出せるもんを出してみて、後はまわりの反応から学べばいいじゃんというのが割と今の本音に近い。


自分の中だけのこだわりって実は偏屈で、ものの見方が狭いかもしれない。良くも悪くも、自分が思っている異常の反応があるかもしれないし、予想通りの反応を他人からもらうかもしれない。ただその反応は次に活かせば良いだけの話で、どんどんトライ&エラーで、七転び八起きしていけばいいんじゃないかって。


もう一度言うけど、自分のこだわりなんて、自分の中の敷居の高さなんて、実は陳腐なもん。だから、まずは吐き出してみて、生み出してみて、他人の客観的な視点から反応から、フィードバックを得て、次につなげればいい。


敷居は下げていこう。そしたら、精神的にも、実際の作業の効率的にも楽になるだろう。楽になるだけじゃなくて、楽しいだろう。「楽」って漢字を大切にしなきゃだなぁ。


まずは一歩、どんな一歩でも、1mm進もうが、1m進もうがなんて程度は考えず、進んでみる。それが敷居を下げることとして、またこんな文章を書いてみているわけでもある。実験できる場だからいいんだ。

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Twitter/@0mija 
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