ハチナナハチハチ

サンジューがきみにやってくる。世代(87、88)きっかけウェブマガジン。あたりまえを、おもしろおかしく

hanaire


ピザ生地は薄い方がいい。

ホットケーキも薄い方がいい。厚い一枚より、薄い2枚だ。

珈琲も薄い方がいい。薄さの中に味わいを求める。


厚い生地に対する"薄い"生地、濃いコーヒーに対する"薄い"コーヒー。「薄い」という言葉の奥深さ。

言わば、日本の美意識だ。インコより文鳥。足すより引け。



ちょいと前に、なんでも鑑定する番組を観ていた時のことです。ある花入れ(陶芸品)がそこに出ていました。

それまで陶芸品に対して「こんな誰でも作れそうな壺だの茶碗だのが、こんなバカ高い値段で取引されてるなんてアホらしい」なんて思っていたのですが、その花入れにはなぜか魅了されてしまいました。

例に洩れることなく、その花入れも名工が作ったものらしく、所々ゆがんでいたり凹んでいたりしていたのですが、それが、えも言われぬ造形美を生んでいたのです。

「なるほど、私もこういうのが分かるようになってきたのだろう」と、このところ色々と思っていたことが繋がってきた気がしたのです。



というのは、大体どのジャンルでも言えることだと思うのですが、ある程度まで行ってしまうと、次に向かうところはそれを崩していく作業です。


「隙を創る」とでも言いましょうか。

この”隙”というのも、ただの隙ではなく非常に洗練されたものなのです。


例えば、俗にいう「ヘタウマ」な絵に、私たちが味わいや親しみを感じることができるのもこのためです。


まだピンとこない人に言うならば、ダメージジーンズだ、年季の入った革財布だ!

とまぁ、こういう具合にその道に入ればこそ分かる領域と言いますか、奥の細道があるわけでございます。



絵を描いていると”筆の置きどころ”という奥の細道があるわけですが、先の花入れにも同じものを嗅ぎとれたのです。

道は違えど、行きつく先は「美」ですから、各々の奥の細道を通ることのできる共通の隠し扉があるのです。



とは言え、私もその後、価値のあると言われる陶芸品を見てもあまりピンとこなかったということは、私も所詮その程度です。


芸術作品というものは、ある人には何にも代えがたい物になりますし、またある人にとってはタダでもらってもいらないものです。

「この作品は、こうこうこうで素晴らしいのだよ!」なんて説明されて、一見ヘンテコなその作品に、自分の色眼鏡を調整して分かった気になるのは間違いでしょう。(もちろん、それで分かったのなら問題ないのですが。。)

いろんなものを観て、感じて、初めてヘンテコの美が自ずと分かるようになるのだと思います。



と、まだ絵を勉強しだしてそんなに日数が経ってない私が偉そうに言っていますが、そこらへんは上手に愛想笑いして下さい。。。笑


いつもながら取り留めのない話をしてしまいましたが、固結びの言葉として最後に付けくわえさせていただきます。

「緑茶は濃い方が好きだ」



あ。ほどけた、、
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