ハチナナハチハチ

サンジューがきみにやってくる。世代(87、88)きっかけウェブマガジン。あたりまえを、おもしろおかしく

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週報です。うるう年の29日を乗り越えて、いつの間にか3月に入っちゃいました。この2月から3月を跨いで、ぼくは鳥取・大山町(だいせんちょう)にきております。

ブロガーインレジデンスに参加し、「のまど間」というお城(ワーキングスペース)付きのシェアハウスに滞在しながら、「まちづくり」「移住」をテーマとしたちょっとした取材などをさせてもらってます。詳しくは、こちらをどうぞ。

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「のまど間」のお城(ワーキングスペース)のほう。Wi-Fiも完備されてます。
 
東京からサテライトオフィスを置き、大山町の番組制作を主に手がけ、テレビでのまちづくりを進める「アマゾンラテルナ」。移住交流サテライトセンターとなっている「まぶや」で、場づくり、地域コーディーネートを長年進めている「築き会」。長田集落にある分校を利活用し、アートとデザインの視点を取り入れた新たなカタチの教育にいどむ「ガガガ学校」。半漁半猟で、海と山の「食」を楽しむ高見さん。

もうここに書ききれないほどの魅力的な人と、ケーススタディ的に学びとなる事例の数々が、大山町にはあり、(仕事をしながらというのもあり)やはり1週間の滞在ではちょっと足りないなぁ、ここを去るのが寂しくなります。

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解体したてのイノシシ肉を、塩麹で漬け、豪快に焼く、そして、削ぐ。うまい。

大山町の地域おこし協力隊のメンバーに大変お世話になっていて、取材調整や現地でのアテンドなどの手厚いサポートがあり、かなり充実した1週間を過ごすことができました。特にお世話になっていたのは、ブロガーインレジデンス担当の薮田さんです。

兵庫・淡路出身で、元々は税関に勤めていた薮田さん。その仕事を通じて、3年ほど鳥取に住んでいた体験もあって、大山町にIターン移住して、地域おこし協力隊に就任。のまど間の管理人をしていたり、長田集落の古民家を活用した(実は購入した)起業に向けての準備も進めています。

そんな薮田さんと、最終日の6日に「UI RADIO」をやるので、よければ覗いてみてください。大山町はもちろん、移住にまつわる話などをお聞きできればと思っています。

移動手段のない貧弱ぼくは、薮田さんにあちこち連れていってもらったのですが、その中で、こんな話が出ました。「わたしは、あまり移住と思って、大山町に来ていない。どちらかというと、引越しという感覚」と薮田さんが口にしました。

「移住」と「引越し」は似ているようで、ちょっと違う。そんな気がするので、この言葉について考えてみたいと思います。

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こっちの大山暮らし」より。イラストがかわいい。

たくさんの地方移住経験者の話を聞いていると、共通して見えてくるのは「フットワーク」が軽いということです。「定住・永住」という言葉を、よい意味で重く捉えることなく、地域に入っていってる印象を受けます。そういう人たちのコミュニケーション能力たるや。彼らは、そもそも「どこに行っても、なんとかやっていける」というタフな人が多い気がします。

そんな動き方ができる人にとっては、やはり気持ちとして「引越し」くらいのなのかもしれません。傍からみれば、それは「移住」だとしても。実は、その「引越し」ぐらいのカジュアルさが、最近の「移住」という言葉に相当するようになってきたのだとも思います。

かつての「移住」は、先ほども触れたように、「定住・永住」が根底にあって、かつ海外や沖縄のような“遠方への移動”を意味していたようです。また、若者というよりは、リタイア前後の人たちの決死の選択肢でもあったかもしれません。

今では、20〜30代の若者が、カジュアルに、(交通機関の発達などもあり)国内でも足を運びやすい地方へ移り住む。というのが、「移住」というように捉えられることが多くなったのではないでしょうか。

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大山寺、大神山神社をめざして、山をちょっと登ったりもしました。ここは、出発地点の風景。

ここで触れたのは、そもそも「移住」の言葉がもつ意味が、時代とともに少しずつ変化しているということ。では、あらためて、「移住」と「引越し」の違いについて。

移住には「新たな暮らしのチャレンジがある」、これに尽きるのではないかと思っています。都会と田舎で、生活環境が変われば、当然インフラも変わるので、新しいライフスタイルを受入れなくてはいけません。ポジティブ面でも、ネガティブ面でも。風土が違えば、文化も違い、コミュニケーション方法もそれまでとは同じようにはいかない。

暮らしの中に仕事があるという意味では、これまでとは違った仕事に就く、のもチャレンジのひとつだと思います。仕事をつくっての起業はもちろん、同じ業種でもあっても土地が変わって、働き方が変われば、それも挑まなくてはいけないものでしょう。


その意味で、フロティンア精神のもとに移り住むというのが「移住」。それに対して、ただの転勤で、地方都市に移って、なんら都会にいたときと変わらずに、生活や仕事をこなすのは「引越し」と呼べる気がします。つまりは、移住前の暮らし(生活や仕事)のパッケージをあまり変えずに、地域を変えるのが「引越し」であるとぼくは思っています。

ここらへんは、ほんと繊細な話で、確実な定義はないとも思ってはいまして、言ってしまえば本人がその行為を「移住」とするのか「引越し」とするのか、の判断でいいはずですし、他人のことをとやかく言えるわけはありません。

とはいえ、地方創世の流れによって、「移住」という言葉がファッション化されつつあるのも否めないなか、「そもそも移住って何だっけ?」と各々が考えることは必要なはずです。それは、誰のためでもなく、自分のために考えるんです。世間一般が醸しだしている“意味”に惑われないためにも。


とまあ、引き続きではありますが、「移住」の自由研究は進めつつ、「だれと、どこで、なにをして、暮らす?」という問いについて、考えていければなぁ、とあらためて思った、大山町でした。(無理矢理な終わらせ方ですが笑)

 
0mija 
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