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週報です。1週間ほどの宮古島(沖縄)滞在を終え、次の1週間を大山町(大山町)で過ごします。その理由についてはこちらを。

ここ最近、"苦手な人"や"嫌いな人"について考えていました。


結論を先にいうと、「苦手な人、嫌いな人ほど近づいてやろう」の気持ちを持てたほうが、予想と反して、日々の楽し方が広がるんじゃないか。

苦手・嫌いに触れることは、それだけで苦痛だったりするんですけど、実は「なんで苦手なのか?」「なんで嫌いなのか?」の理由をくっきりさせていくために必要な時間だと思うんです。だいたいの苦手・嫌いは"なんとなく"の人が多い気がしてて、「なんで?」と聞くと、実は言語化できないパターンによく出くわします。


これは自分の苦い経験のなかでもあって、ちゃんと言語化しようと思ったら、直接その"宿敵"に歩み寄ってみて、触れ合うなかで、相手の行動や、それに反応する自分の感情について観察しながら言葉を探るのがベターなんですよね。

"なんとなく"苦手・嫌いで対象に近づかないということは、それはもう食わず嫌いと同じこと。実は、食べてみると、その美味しさに気付けるラッキーな瞬間もあったりします。もちろん、さっき触れたように、苦手・嫌いが明確化されることも。


明確化されると何がいいのか? 「苦手・嫌い」にかぎらず、「好き」もそうですけど、漠然とした好き嫌いよりも、より具体的な(ある種、ニッチともいえる)好き嫌いのほうが、自分と感性の合う人を呼び寄せやすいです。

「ぼく/わたしも同じ!」と共感できることが、強ければ強いほど、信頼関係が不思議と築かれていく。そして、ぼくの肌感覚では、「好き」よりも「苦手・嫌い」の感性が合う人ほど、なにかを一緒にやるときの相性が良かったり、深い付き合いにもなりやすいんじゃないかと思います。もちろん、性格に左右されやすいことですけど。


そして、ここから一気に話が変わるんですけど、そういう「苦手・嫌い」に自ら飛び込んでいける人ほど、ミーティングやイベント等の進行上手なんじゃないか。そう勘ぐってます。

そうやって食わず嫌いしようとする人は、「もしかしたら、これは思っていたよりも美味しいものかもしれない」という暗示をかけるのがうまい人。苦手な人、嫌い人が目の前にいたとしても、その人の好きなところを逆に探すことができる人。 

ざっくりいうと、そういう「苦手・嫌い」とのコミュニケーションを楽しめる人は、「おもしろがる」能力が長けている人だと思うんです。


ミーティングやイベントなど、参加者の発言を"大したものでないと"なおざりにしてしまう進行者もいたりします。そういったなか、発言のおもしろさを視点を変えて広げたりすることで、その参加者は場に馴染みやすくなるし、それによって会の温度があがることもあるはずです。そういう意味では、この「おもしがる」能力はあるに越したことはない。

それってテクニックというよりは、おそらく、気持ち・意識の問題でどうにでもなることで、更には、"その場になってからやる"ものでもない気がします。普段の暮らしや仕事における基本姿勢からつながっているものでしかない。


なので、普段から、自分の好きなもの・おもしろいと思うものにしか触れようとしていない人には、絶対にできないこと。"苦手なもの・嫌いなもの・興味ないものをおもしろがってみよう、と思いながら、日々を過ごしている人は、どんな場であっても楽しめるのだろうし、一緒にいる人も心地よいんだろうなぁ。そして、進行がうまい。

すぐに否定しちゃいがちな自分としては、えいやっ、とかなり自戒を込めまくってます。

0mija