ハチナナハチハチ

サンジューがきみにやってくる。世代(87、88)きっかけウェブマガジン。あたりまえを、おもしろおかしく


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以前よりは、「場づくり」 という言葉を耳にするようになった。それは、場(コミュニティ)づくりが少しずつ市民権を得てきて、その重要性を考える人が増えたからなんだと思う。

Peatix」がプラットフォームを、イベントからコミュニティへ、と変えたのもそういうことじゃないだろうか。もちろん、自分が関わる領域で、それを気にするような人が周りに増えたっても大きいことだ。

西と東の場づくりは若干違うようにも感じるし、「場づくり」という言葉を聞くと堅い気もするけど、無意識的にその考え方をぼくが学んだのは、バーテンダー時代だったことに気づいた。

カクテルというツールで、限りある時間を削ってお金と払ってまできてくれる人たちに対して、どんな心地よい時間と記憶を提供できるのか。カクテルはもちろん(これは仕事の1〜2割程度のことなんだけど)、どんな会話をするのか、空間をどうつくるか、音楽はなにを流すか、などトータルで考えながら、お客さん一人一人によって異なる居心地のよさを追う。

場はお客さんがあってこそ成立するし、ほんとナマモノで、こっちが予定調和の型をつくってその場の参加者の言動を制限しすぎる(とはいえ、それなりのルールは必要)のはおもしろみがない。カクテルと同じように、そこにきた人たちと自分がどのように混ざりあって、よりよい味わい=時間をつくれるかっていう化学反応がおもしろい。

その経験があったせいか、場をつくることにマニュアルを求めすぎることに違和感はあるし、参加者(お客さん)が入り込める余白がない場は、正直つまらないと感じてしまう。そういう場は、結構多いことに気づく。

それは、場に対する意識がまだまだ弱いからで、それはある意味、成功体験的に、より居心地のよい、シンプルに参加してて「楽しい」場に参加したことがないからなのかもしれない。

セミナー形式のただ聞いて終わりの場って楽しいのか。つまらない会議におけるパターンってなんだろうか。反対に、参加してて楽しい飲み会ってどんなんだろう。そこに場におけるヒントがあるわけで、「自分の声を発する」ことの意味は大きいように感じる。

そのなかで「いつ/どこで/どのように声を発してもらうか」という場のデザインを、場をつくる人は求められているのだろうし、だから、(ぶっちゃけ言葉としてはあまり好きではないが)ファシリーテーションも必要になってくるのだろう。

ってことで、「場について考える場」をつくりたいなぁ、と思う今日この頃です。ぼくがカクテルつくりながら、ゆるゆるっと話し合えるような「ba-r」ってかたちでやれるかな。都内で場所を探さなきゃだ。

0mija

 
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