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ちょい遅れましての週報です。先週も記したように、鳥取、京都、兵庫を経由して、沖縄に戻ってきてから早くも1週間が過ぎていたみたいです。

24日からまた東京滞在となるので、というか、拠点をまた東京に戻すつもりなので、いま沖縄でやってるあれこれの整理整頓をしなくてはなぁ、と動きつつも、通常業務はもちろんのこと、4月以降に向けての仕込みもしておきたい、と欲張ってみてはいます。

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お昼寝してるひまなんていまはない...

・「焦点街」のサイトロンチ
・「おきなわ移住」のシカケづくり
・「水上家」共同運営体制づくり
・「あきないいえ」プロジェクト始動
・「〇〇インレジデンス」づくり
・「ルートビア × 小商い × メディア」づくり

 
パッと挙げてみただけでも、4月以降やろうと進めていること、ちゃんとカタチにしたいことはあって、楽しみの部分もあれば、弱音を吐く様ですが、こわいと不安に感じることもあるわけです。

ただ、これができたら、「今よりも、もっとおもしろくなる」という部分はあって、だから動き出せてるんだなぁ、としみじみ思っちゃたりなんかして。ちなみに、上記リストは、仕事というよりはライフワーク(マイプロジェクト)的に進めているもの(のちのち、仕事にできそうなものはそれは意識して)。

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水上家は、緑の扉とこいつが目印です

さてさて、1週間を振り返ります。沖縄で運営するオープンスペース「水上家」のことをじっくりと考える時間が多かったです。18日19日とイベントが続きました。18日は「まちライブラリー」の読書会。19日は1年を振り返る、忘年度会。

それぞれの場を通じて、いろんな人が顔を出してくれたり、さまざまな予期せぬ場面や言葉に遭遇したりするなかで、この水上家という場がどういったものなのか、どういう方向性で進めていけるといいのか、ということを改めることができた気がします。

場とは人がつくるもの。どんなところであっても、人が集まるからこそ場が生まれ、場が生まれるから事や物も生まれていく、そして、その物事が新たな人を呼び寄せていく、場がかき混ぜられ新たな場へと動き出す......というようなスパイラルなのかなぁと。

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18日「まちライブラリー@水上家」読書会はこんなかんじ。このごちゃごちゃ感が売りです。


2015年3月から運営してきまして、1年間でさまざまな変化がありました。「水上学舎」というオトナの学び舎をはじめ、「BAR OTTO」や「メガネと、つどう(メガネ会)」など定期でゆるい集まりもはじめ、「まちライブラリー」の設置、「映画部」「ウェ部」も動きはじめ、それだけ人も行交うようになったという事実はあって、個人的には感慨深いものがあります。

まちライブラリー@水上家」の館長をやってくれているゴウくんには、ほんと感謝してまして、自分が安心して県外に出れるのも彼の存在あってこそなんですよね。「自分がいなくても場が動く」状態というのは、そう簡単にはつくれない。

それなりに場において大切にしてることはあるので、それを感じとってくれる人であることはもちろん、実際の場をあたためることができる人、かつ、それが業務とか強制でなくて、本人がその場を一番おもしろがれる人であるといいんですよね。

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19日「大忘年度会:水上家のみなさんのおかげでした」では、生まれ故郷の平戸島の酒を開けた(すぐ空いた

そう、なかなかいないんです。そういう自分にとって、この人だ...!とピシャリとはまる人ってのは。ゴウくんは、偶然にも同年代(1988年生まれ)で、新潟出身で、東京と大阪を経由してから沖縄にきてます。地元+関東+関西の空気感をなんとなく味わってる、ってのも共通点もあります。

ただ違うのは、ぼくはフリーランスとして動いているのですが、彼は会社員でありながら、スキマ時間を見つけながら、“課外活動”として自分のやりたいことを進めている点。結婚して、すてきな奥さんもいる点。ある意味、ほとんどの人が「それがあるから、〇〇ができない」という条件を持ちながらも、やりたいことをやってる、彼の生き方ってほんとにすごい。尊敬してます。

共通する部分もありつつ、違った部分もある。当たりまえなんでしょうが、絶妙でなバランスで自分と横並びでやってくれる人がいるのはありがたいです。場のつくり方もそれぞれ違うからこそ、野球でいう「今日の当番ピッチャーは△△だ」というような場のバリエーションも増え、微妙に集まってくる人の属性も変わってくる。たがいの“ご近所さん”が、ひとつの場でちゃんぷるーする(混ざる)からおもしろい。そう感じます。

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映画部「スターウォーズ編」のとき
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水上学舎「ファシリテーショングラフィック」の授業のとき
 

もう一度、4月からの東京の話に戻りますと、これは“社会実験”だと勝手ながら考えてはいます。運営を辞めるという選択肢ではなく、運営は続ける、だけど、自分はほとんどそこにいない。わがままに見えちゃう部分は強いかと思います。ただ、自分がいなくても場が動くしくみができたらいいなぁ、と常々考えていたこともあり、これは挑戦だと腹をくくって、やることにしました。

人はいつかはその場から離れていく。そういうものだと思います。それは、出会いがあれば別れがあるように、入学があれば卒業があるように、生があれば死があるように、いったん関わった場から離れるという状況は避けれないはずです。

人によって、ライフステージが変われば、どんなにまだここに居たいと思っても、今いる場所から離れなくてはいけない、自分のためにも離れた方がいいときは必ずあります。その時に、離れることの是非ではなく、どんな「離れ方」ができるのか、この部分が重要だなぁと感じるんです。

ぼくが自由研究してる「移住」についても言える話ですが、たとえ、とある地域に移住したとしても、その人の状況が変われば、ポジティブな意味合いを持って外に出ないといけないときが出てきます。そのときに、地域の人たちと良好な関係ができていれば、出ていった後も、また遊びには行けて「おかえり」「ただいま」を言い合えるよう状況ができますよね。

大事なのは、離れる人なら、その場をどのように、どんな関係性で離れていくか。そして、その場に残る人なら、離れていく人をどのように見送れるか、時たま、戻ってきたときにどのような歓迎ができるか。

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「まちライブラリー@水上家」みんなで本を持ち寄り、本棚をつくってます

ちょっと広がりすぎたので、また水上家の話に戻します。実は、水上家において離れるのは、ぼくだけでなく、ゴウくんもそうなんですよね。

彼は転勤族なので、あとどのくらい沖縄にいるかわからない、ずっと水上家という場に関われるわけじゃありません。だから、彼が水上家(もっと言えば沖縄)を離れていくときに、この場とここをとりまく人たちとよき関係のなかで見送れたらいいなぁと。それまでのあいだには、水上家をあそび尽くしてほしい、と(偉そうに)一管理人として思っている部分があります。

そして、彼が離れるその前に、管理人の立場は保ちつつも、ぼくも離れることを試します。月1くらいになるでしょうか。定期的に水上家にきて、ぼくもイベントなど主催したいし、他の場の使い道を開拓していきたいと思ってます。

水上家という場がぼくは好きです。この場を通して、いろんなことを学ばせてもらいましたし、残せるなら残していきたい場です。思い入れもそれなりにある。だからといって、自分が進んでいきたい方向を無視することもできないからこそ、離れるという選択をしました。

似てるようで非なるものですが、「離れる」と「捨てる」は違いますよね。捨てると、もう二度と戻れないかもしれませんが、離れるは戻りたいときに戻ってこれます。どっちに転ぶかは、関係性の築き方でしかないとぼくは思います。

状況的に言えば、彼女をこの地において、どこか遠いところにぼくが留学するみたいな感じでしょうか(むっちゃくちゃいい感じにいえば笑)。別れるわけじゃないんです、遠距離になるだけなんです。ただ、遠距離ははじめてなので、どうすれば、うまく関係性を保てるのか、あるいはより関係性を深められるのか、ここらへん試されてますね...。


ということで、長ったらしくなりましたが、水上家とは最高の遠距離恋愛ができるように、4月以降も関わり続けていきたいと思ってます。あたらめて、ゴウくん、ぼくのいろいろなわがままに付き合ってくれてありがとう。ほんとのほんとに、うれしいです。

“水上家族になろうよ”

というコピーのもと、4月から運営についてもリニューアルしてくので、この場をおもしがってくれる人が増えたらいいなぁ、県内外から人が集まってくれたらいいなぁ、いろんな価値観や情報そして人がちゃんぷるーするといいなぁ、と思っております。みなさま、今後とも水上家をごひいきくださいませ。

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水上家の長男(ゴウくん)
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水上家の次男(ぼく)

ハチナナハチハチ管理人
あらため、
水上家の“次男”より

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